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写メ日記

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Momoeの写メ日記|プレミアム 吉原高級店ソープ

2025.09.25 21:12
揺らぎのこと


こんばんは?
先日まで開催されていた世界◯上、テレビ中継ですがよく見ていました?運動音痴な割にはスポーツ観戦が好きなのです笑
マラソンを見ていて、秋になったらランニングを始めたいなと思ったり…
でも根っからのインドア派なので、ランニングに着ていけるような服すら無いのですよねそんなことで走りに行くのを躊躇しているうちに、いつの間にかやる気を無くしてしまうのがいつものパターンです(??;)
靴とかウェアとか、まずは見た目から揃えればやる気も続くのでしょうか…どなたか喝を入れてください<(_ _*)>

明日15:00〜24:00、明後日13:00〜23:00で出勤しますお時間があればぜひ^^

………………………………………………………

今回はカズオ・イシグロ「浮世の画家」です
作者は1954年に長崎で生まれ、彼が6歳になる頃に家族でイギリスへ移住しました作家としての活動はイギリスでスタートし、後に永住権を得たようです
今回のこの本を含めて彼の作品はほとんどが英語で書かれており、私が読んだのは日本語訳された翻訳文学になります

舞台は戦後間もない長崎です年老いて引退した画家の小野という男が主人公で、物語は彼の一人称によって語られてゆきます彼は戦時中、国威発揚のための愛国的な作風によって名を博しますが、終戦後はそうした過去が心に影を落としていました長女の娘婿が自身に冷たいことや、次女に来ていた縁談が破談になったことが、自らの過去の所為であると気が付いていたのです
そんな日々の中で彼は、自身の過去や周囲の人々との出来事に思いを馳せます

この小説は全編を通して主人公の小野による「わたし」視点で語られるため、極めて主観的です尚且つ「わたし」の回想は過去の色んな時点を行ったり来たりするのです
しかし、主人公による客観性を欠いた過去の回想や彼自身の意識の「揺らぎ」は妙にリアルで、人が自らの過去を顧みる時はこんな風に思考し、記憶を紡ぐのではないかと思えてしまいます
例えば、自分が悪かったことには気がついているけど、「あの時は仕方なかった」と思い込まざるを得なかったり、数日前のある出来事を思い出していたと思ったら、突然何年も前のことが浮かんで来たり…
私たちもこの主人公のように、時には自己欺瞞を重ね、思わぬ記憶の脱線や連想によって過去を見つめながら浮世を渡ってゆくのかもしれません何人もそうせざるを得ないとも言えるのでしょうか

世代間による戦争や国家に対する意識の分断もよく描かれていて、気づきの多い小説でした面白かったです


?この夏は冷麺を食べていました…?



2025.09.09 07:23
葛藤すること



おはようございます?
最近、本は持ち歩きに便利な電子書籍版で買っていますでも、不思議と電子だと読み進まないけど、文庫だとすらすら読める本もあるのですよね…今日これから紹介する本も、そんな作品です笑
電子書籍で買ってあんまり読めなくて、無駄と思いながらも紙の方を買うのはいい加減止めなければと思っています(??;)
本日15:00〜24:00、明日13:00〜23:00で出勤しますお時間があればぜひ^^
………………………………………………………
そんな今回は大江健三郎「性的人間」です
1968年に刊行された中短編集です『性的人間』『セヴンティーン』『共同生活』の3編が収録されています
どれも自意識や自我の暴走に苦しむ人間を描いた作品です哲学的な主題を退屈に感じる人も多いかもしれませんが、人間一度は、特に思春期には、「なぜ生きるのか」とか自分の存在について考えて、多少はもやもやした経験があると思います?この本はそのもやもやの深みに嵌った人たちの物語、とも言えるのでしょうか…

どれも印象に残る作品でしたが、特に『セヴンティーン』が分かりやすく面白かったです
物語は主人公の「おれ」が17歳の誕生日を迎えるところから始まり、彼による語りで進行します前半部分は思春期特有の自意識を拗らせた「おれ」が自らの内面や外見にコンプレックスを募らせ、学校や家庭において孤独と不安に苛まれる様が描かれますその描写が本当に痛烈で、「おれ」の自意識が余りに過剰気味だとしても、自分の思春期を振り返ると、彼の苦しみに共感出来るところもあると思うのです?
この物語の時代背景は安保闘争や学生運動が盛んな1960年代で、物語の後半で「おれ」は、その頃活動していた過激な右派集団に出会いますそれをきっかけに彼は孤独な精神の拠り所として極右思想へと傾倒し、やがては暴走してゆくのです…

「おれ」は常に他人の目、社会を気にする一方で、野良猫のように生きたいと願っていました
そんな風に彼は、フロイトの言う〈超自我〉と〈エス〉とのバランスを取る〈自我〉が不安定なまま、極右思想に精神の安寧と行動原理を委ねてしまったのですね…そうして歪められた自我は、間違った方へと向かってしまったようです
自分とは程遠いように感じる内容の作品だけど、これは「おれ」だけの物語ではない気がしました思春期を過ぎても自我が確立されていない人、それを自覚できていない人は、私も含めてたぶん沢山います大人になりきれなかった大人たちが、右でも左でも良いけど派手で耳障りの良い思想に出会うとどうなるか…この警鐘は現代にも通じると思いました

?つけ麺も好きです(o´▽`o)



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